岡崎でブランド:シャネル(CHANEL)の買取!岡崎の買取店がブランドでも人気の高いシャネル(CHANEL)を語ります

岡崎市、蒲郡市、豊田市、高浜市、西尾市で金・プラチナなどの貴金属や、ブランド品、時計、金券、切手、カメラなどの買取をしております、買取専門店わかばです!!

今回は昔から女性から絶大な人気で色あせない人気のブランド【CHANEL(シャネル)】に関して話させて頂ければと思います!!

CHANELというブランドのロゴイメージ画像

 

 

CHANELの起源から現在に至るまで」

1909年、創立者ココ・シャネル(ガブリエル・シャネル)は当時交際していた婚約者のエティエンヌ・バルサンのすすめと援助により、パリの17区にあるマルゼブ大通りに女性用の帽子店を開業しました!!

翌年の1910年、ココ・シャネルが同じくパリにあるカンボン通りに、「シャネル・モード」という帽子の専門店をオープンしたのがCHANELのブランドとして本格的な始まりでした!!

当時の流行は派手な装飾が施された帽子ばかりだった中で、シンプルなデザインの帽子が評判となり、たちまち「シャネル・モード」は人気店となって行ったそうです!!

3年後の1913年には、高級リゾート地で有名なドーヴィルに第1号店のモードブティックをオープンし、さらに2年後の1915年にはフランスのビアリッツに「メゾン・ド・クチュール」をオープンし、オーダーメイドの一点物の高級服で有名な「オートクチュール」のデザイナーとして本格的デビューして行きました!!

翌年1916年には、初の「オートクチュール・コレクション」で当時男性用下着に使用されていたジャージ生地を使用したリーズナブルでシンプル且つ着心地がいいという画期的なドレスを発表し、そのドレスが話題となりその人気は高まるばかりでした

5年後、1921年本店を同じカンボン通り内で移転、その年に調香師であるエルネスト・ボーと共に、かの有名なマリリン・モンローが絶賛した今でも人気なCHANEL No.5という香水を5月5日に発表
その後、18年後の1939年9月の第二次世界大戦の開戦とともに、香水とアクセサリーのブティック以外の全店を閉店、パリの開放(1944年8月19日〜8月25日)後10年経った1945年になって閉店していた店舗を再開、カンボン通りの店舗も再開し「オートクチュール・コレクション」も再開されました
月日は流れ、1970年香水の新作「CHANEL No.19」を発表
その翌年1917年にココシャネルは30年以上自宅がわりにしていたパリの高級ホテル「オテルリッツパリ」で生涯に幕を閉じました
シャネル亡き後の1975年〜1983年はココシャネルのアシスタントデザイナーだった4人により引き継がれましたが、低迷期と言われる時期に入ってしまっていました
ですがそんな中、1978年にはオートクチュールのイメージが色濃く残っていた中「プレタポルテ」という高級な既製服のラインを開始
その5年後低迷期のCHANELに救世主が現れます、その救世主とはクリツィアやシャルル・ジョルダン、ヴァレンティノなどの有名なメゾンに所属していたり、イタリアの有名ブランド「フェンディ」と契約していたデザイナー「カール・ラガーフェルド」でした。
そして就任した1982年の翌年からコレクションを発表。
CHANELのスタイルを残しつつ新しい時代に合わせたデザインのCHANELを次々生み出し見事に再興を果たしました!!
そして、また月日は流れCHANEL再興させた後もCHANELを率いたカール・ラガーフェルドは2019年2月19日自身の姉に見守られながらに生涯に幕を下ろし
カール・ラガーフェルドの右腕だったヴィルジニー・ヴィアールが就任し今に至ります!!
第二次世界大戦を経験したり、様々な歴史があるCHANELですが、その創立者ココ・シャネルのは沢山の逸話があるのはご存知でしょうか?
創立者 ココシャネルの逸話
「恋多きココ・シャネル」
実はココ・シャネルは英国の第2代ウェストミンスター公爵ヒュー・グローブナーと10年ほど交際していたが、公爵から結婚を申し込まれた際、申し込みを断ったという。ココ・シャネルが後に語ったところによれば、その理由は「公爵夫人は複数いるけれど、ココ・シャネル私自身は私一人しかいないから」と語っていたそうです。
「皮肉家で歯に布着せぬ物言いで有名だったココ・シャネル」
有名なイブサンローランとの逸話もあり

イヴ・サンローランに対しても、「彼は素晴らしいセンスの持ち主だと思う。私をコピーすればするほど、どんどんセンスがよくなっていっていると思う」ときつい皮肉を投げかけたと言います。

他にも、バレンシアガの創業デザイナーであるクリストバル・バレンシアガとは仲がよかったが、後年に「彼はデザイナーを続けるには年を取りすぎた」とコメントし、仲違いしてしまったという。しかし、ココ・シャネルが死去した際の追悼記事でバレンシアガは、「彼女がが亡くなってとても悲しいし、私も本当に年を取ってしまったのだと感じる。強い影響力を持った類まれな存在が消えてしまい残念だ」と語ったそうです。

相手が誰であれ、ココ・シャネルは思ったことをズバズバと遠慮なく歯に布着せぬ物言いでした。フランスの女優のブリジット・バルドーを「金の亡者」だと評し、グラマラスな身体については「下品」とこき下ろした。ファッションエディターにも容赦はなく、「猿みたいな顔をしているし、口が悪すぎる」「これほど偉そうな女性には会ったことがない」など、今現代では物議を醸すような物言いで周囲を驚かせたと言います。

「実は王室からのオファーも??」

ココ・シャネルはタダ働きを嫌がり、王室のためにデザインすることを断りました。理由としては、「王女や公爵夫人たちは絶対にお金を払わないのだから。なぜ私が無償で何かあげないといけないのか?私には、誰も何もくれたなかった」と言っていたそうです。

「実はスカートが理由で逮捕されたことがあるココ・シャネル」

シャネルはミニスカートを「肉体を見せびらかすもの」だと言い、下品な服装だと酷評していたそう。実用的なパンツスタイルを好み、女性も履くべきだと提唱して自らも着用していたが、そのことで第2次世界大戦中に成立した仏ヴィシー政権によって逮捕されたそう。

「CHANE No.5の都市伝説」

CHANELの歴史の際にも語った香水 No,5は、芸術運動が盛んだった時代に、ココ・ シャネルと調香師エルネスト ボーにより生まれた香水、それまで香水自体は、現存する特定の花の香りを再現するものが多かった、当時展開されていた革新的な芸術運動のように、それまで当たり前だったルールを覆し、新たな表現を試みることで、ここに「香りのコラージュ」という手法を生み出した。新しく創造された香りは、香りの世界に革命をもらし、そのときに流行していたすべての香水を一瞬で流行遅れにしてしまったと言います。しかしながらNo.5には大きな謎があり、具体的な花の香りが分からないという点、No.5自体ジャスミンやイランイラン、ローズに、合成香料アルデヒドをブレンドしたもの。花のエキスが大量入っているのに、なぜか香りに具体的な花の痕跡が感じられないのは、No.5謎のひとつと言われています。

ここまで歴史や逸話についてお話させて頂きましたが、皆様が気になるのはお値段が高い理由なのではないでしょうか?

販売価格に関してですが、確かにここ10年で驚くほどの高騰が見られたと思います。CHANELなど高級ブランドは格を保つために定期的に価格改定をしますが、それだけでは説明できない値上げ幅だと思います。特に2017年の値上げは6~9%と非常に大きな値上げでしたが、これは為替レートが関係しているようです。

長く続くユーロ高の影響で、フランスからの仕入れ価格が高くなりました。また、日本の価格が据え置きでは、ユーロ圏の方からすると「日本で買うCHANELは安い」ということになってしまい、転売に利用されかねません。それを防ぐため、世界のどこで買っても大幅な金額の差がないように、価格が統一されたようです。

そんな歴史や逸話が多いCHANELですが当店買取専門店わかばでは買取を強化しております。

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専門のスタッフが1点からでもおまとめでも、お持ち込み頂いたものは丁寧に査定&買取致します!

たとえ壊れてしまっていてもお買取りさせていただきます!!

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